「私が“今ここ”に立っている理由」
26歳のとき、私はメガバンクを辞めました。
当時は、銀行を辞めるなんて“もったいない”とか、“安定を手放すの?”と、たくさん言われました。
でも、その選択の裏には、ひとつの忘れられない経験があります。
阪神・淡路大震災で、生きることの意味を突きつけられたあの日。
瓦礫の隙間から命がつながった私は、「当たり前なんて、ない」と心から知りました。
それなら、せっかく生きているこの命を、
誰かの元気や希望を“与える側”として使いたい。
そう思ったのが、私の人生の転機です。
“一歩踏み出す”たびに、またゼロからの挑戦だった
フリーのエアロビクスインストラクターとして飛び込んだ世界では、
スポーツクラブや専門学校で非常勤講師をしながら、
ケーブルテレビにも出演し、「伝えること」の喜びを知りました。
その後、結婚。
ですがなかなか子どもを授かれず、不妊治療を続ける日々。
そのなかで出会ったのが「マタニティビクス」でした。
“産む前から、母としての身体をつくる”という考え方に共感し、資格を取得。
その後、2人の子どもを授かり、仕事を一度手放していた私が、再び現場に戻るきっかけにもなりました。
子育てしながら、ママたちと一緒に汗をかいた日々
「赤ちゃん連れで通える教室をつくりたい」
そう思って立ち上げたのが、ママのためのエアロビクス教室。
当時はママ友に声をかけて、自宅近くの施設で少人数からのスタート。
赤ちゃんが泣いても、授乳しても大丈夫な場所。
“ママが自分のために動ける時間”を届けたくて、全力でやっていました。
その中で見えてきたのは、産後の女性たちのリアルな悩みでした。
「体が戻らない」
「腰が痛い」
「このお腹ってどうなるの」
「手首が痛い」
「眠れない」
「私って何?」
私自身も感じていた“身体と心のバランス”の大切さ。
その答えを探す中で、出会ったのが「ピラティス」でした。
ピラティスで、母たちの“再起”を支えたい
ただ運動するだけでなく、
自分の呼吸に向き合い、姿勢に気づき、内側から整えていく。
それは、バラバラになりそうな心を静かに整える時間でもありました。
私は、産婦人科内にピラティスのクラスを立ち上げ、
赤ちゃん連れで通える形を構築。
気がつけば、いつも満席の人気クラスになっていました。
でも、順風満帆というわけではありませんでした。
離婚、シングルマザーとしての再出発。
「もう一度、ゼロから立ち上がれるのか」
そんな不安とともに、2017年にピラティススタジオilohaを立ち上げました。
コロナで仕事が消えても、信じたのは“居場所の力”
順調にスタジオ運営が軌道に乗り出した頃、コロナが直撃。
産婦人科での講師業はすべてストップ。
一時はすべてが止まったように感じました。
でも、あのとき気づいたのです。
孤立しやすくなったママたちにこそ、
「誰かとつながれる場所」「安心して身体を動かせる場所」が必要だと。
だから今は、
親子で参加できるピラティスイベントを企画したり、
出産後のママたちが“自分らしく働ける”ためのインストラクター育成にも力を入れています。
自分の経験が、誰かの未来を支えるなら
私は、何度もキャリアを中断してきました。
辞めた。育児で離れた。離婚した。やり直した。
でもその経験が、今では誰かの支えになると信じています。
「今のままでいいのかな?」
「もう一度、何か始めたいけど不安」
そんなあなたにとって、
ここが“安心して踏み出せる最初の場所”になりますように。
私の原点は、「命をもらったあの日の気づき」
そして今は、誰かの再スタートを支えることが、私の使命です。